未定

記憶に残すには重たくて忘れるには愛おし過ぎること

ときめき廃墟

 

オカルト的な好奇心なしで廃墟に行きたいと中学生くらいの頃から思っていて、絶対に誰も住んでなさそうな廃れた家屋とか空き地の隅に放置されて朽ちたバスにときめいてしまう。

 

廃墟にはずっと変わらずそのままの空気が滞留しているような気がする。廃墟になるほど長い年月そこにあって、幾度となく風や雨や暴風に晒されて空気は循環しているわけだけど、そこには遠い過去の空気が変わらずあって時間が止まっているような世界から切り離された感じが好き。空気じゃなくてオーラというのかな。包まれたい。かつてそこにあった生活感の「感」の部分を味わいたい。

 

タイムカプセルを開ける瞬間のような、誰かが最後にそこにいた時代をそのまま封しておいた場所に足を踏み入れる高揚感。わたしが廃墟に入ることで空間内に固定され続けてきた全てが崩れてしまうことへの背徳感。

 

錆びて動かなそうなドアを開けるところを想像するだけでドキドキしてくる。

 

そこで確かに機能していたモノが全ての有意性を失い、ただそこに存在するオブジェと変貌を遂げる。時間性、場所性、社会的役割を放棄して、意味の世界から解き放たれた存在になる。デュシャンに代表されるレディメイド作品と「意味の剥奪」という点で通じるものがあると思うけど、廃墟の場合は制作意図すらなくて、もはや自然に生み出されたアートだから本当に凄い。

 

廃墟とは当然、誰かによって建物という役割を与えられた創造物だった。そこで誰かが生きて、幸せを築き上げて時には苦しみに耐えて過ごしてきたと思う。しかし、何らかの事情によって人が立ち去り、長い時間の中で廃墟と化した。建物が取り壊されたわけではないけど、社会からの分離は破壊そのものだ。ここに存在し続けているのに、風化して朽ち果てて生命を終えたような姿に儚さまで感じてしまう。

 

人は誰しも死に向かって生きる。人だけでなく、あらゆるものに永遠はない。「永遠の愛」とかに憧れていても、一応永遠はないと思っている。あってほしいけど、ないっぽい。廃墟はその不変的な結末を表象しているようで、その佇まいに、どんなに大きい力でもっても抗うことのできない運命と儚さを意識させられる。

 

創造と破壊の象徴であり、栄華と零落、日常と異世界を取り込んだ廃墟、みんなも入りたくなった?

 

 

まあ、目の前にあっても入らないけど。怖いから。